飛龍頭くんのコーヒー雑記

  • 2019/02/24

    生焼け感。

    コーヒーが生焼けのときの味、わかりますでしょうか?
    言葉にするのは難しいのですが、結構特徴があってわかりやすいです。
    浅い焙煎ではこの生焼け感を出さないようにするのは結構難しくて、私も一定以上の浅さにチャレンジすると出てきてしまいます。だから当店、現状、深めの焙煎のみでやっています。

    じゃあ、浅めの焙煎ができてるお店は神か、というとそうでもなく、平気で生焼け焙煎豆を販売しているお店も結構あるようです。生焼けの味が好き、という方もいるかもしれないので別に良いかと思いますけど、私はあまり好きではないです。私が好きなコーヒー屋さんでは生焼けコーヒーは出てこないです。

    ちなみに、生焼けになりやすい豆というのはあって、例えば当店で今使っている中では、ペルーとブラジルが生焼けになりがちです。結構ゆっくり深くまでやっても時々出てしまうので、生焼け防止については、その秘訣をいろんなコーヒー屋さんに伺ってみたいです。

  • 2019/02/23

    再現性の先へ。さらに先へ。

    お試しで使ってみていたニカラグアの豆の焙煎の加減がなかなかつかめなくて、なかなか思うような味になりませんでした。
    なので、自分でたくさん飲んだのですが、ちょっとドリップを変えたら、結構おいしくなって、焙煎の状況によってドリップを瞬時に最適化できたら強いな、と思いました。ときどきそういうドリップの天才みたいな人います。

    安定した味や再現性を追求する上では、変数はなるべく少なくした方がよいから、ドリップを固定して、それにあわせて焙煎を試行錯誤する、というのが一般的なやり方なのかもしれないんですけど、焙煎するときはそれでもいいですけど、いざ焙煎が仕上がった後は、できるかぎり、そのコーヒーを一番輝かせるドリップができればそれに越したことはないですね。

    ただ、再現性も、さらにその先も、どちらかというとAI的なものが得意な分野だと思うので、人間コーヒー屋としては、さらにその先へ行かねばなりません。
    で、そういうふうに考えてるから、どこにも行けてないので、まずは、完全なる再現性をめざしてがんばります。

  • 2019/02/23

    コーヒーとプラシーボ。

    ツイッターで、「コーヒーの味は納豆に近い」というツイートを見て、その後、コーヒーを飲んだら、なんだか納豆の味に思えてきました。
    私は納豆も大好きですけど、やっぱりコーヒーが納豆味だとちょっと微妙だな、と思います。
    完璧なる絶対味覚でも持っていないかぎり、多かれ少なかれ、コーヒーみたいなわかりにくい飲み物はプラシーボの効果を受けてしまい、そういう意味では、お客様にコーヒーを提供する際には、その点にもっと気を使わなければなりません。

    店主が自分のコーヒーに愛着と自信を持って堂々とお出しする、というのはもちろんなんですけど、それ以外にも、そのコーヒーの良さを引き出す環境とか表現というものを洗練させていくというのは、大切でございます。

    昨日、本屋さんの店番でお客様と話をしていたときに、その方のご友人が末期ガンから奇跡的に回復して本まで書いた、みたいな話を伺いました。その方は、話を聞く限り、完全完璧ポジティブな性格で、もちろん本当のところはわかりませんけど、抗がん剤で髪が抜けてしまうとか、そのガンで自分が死んでしまうとか、そういうことをまったく信じなかったようです。
    特定の薬が効いたということもあるようですが、メンタルの部分もやっぱり大きそうだなと思いました。

    コーヒーをおいしく飲めるかとか、コーヒーを飲んで幸せな気持ちになれるか、みたいなところも、人間のメンタルの部分がとても大きく影響するから、コーヒーそれ自体の絶対的な味や品質の向上とともに、もっといろんな方向からコーヒーをいじくることで、コーヒーは無限の可能性を発揮するものと信じております。楽しそう。

  • 2019/02/22

    人間が猫を愛する理由。

    今日は、猫の日です。
    以前、私は、自分のことを猫好きだと思っていたのですが、最近、たくさんの猫好きな方とお会いする機会があり、その真実の愛にふれたとき、私は、自分を猫好きだと公言することができなくなりました。

    ただ、なんで猫があんなにも熱烈に人間に愛されるのか、ということには興味があって、今までもいくつかの理由を考えました。
    (理由案)
    ●裏切らないから
    猫には期待しないから、裏切られない。完全なる猫みたいな人間がいたらどう考えてもダメだけど、猫なら許せる。
    ●堂々と愛せるから
    人間は愛されるより愛する方が本当は好きで、猫なら心おきなく堂々と愛せるし、猫は嫌なときは嫌な顔をしてくれる。人間だと他人目が気になるし、うざくてもうざいといってくれない可能性も高く、場合によってはセクハラになってしまう。

    と、ここまでは、ちょっと猫じゃなくても良い気がするので、もう2つ、追加で考えました。
    ●ルックスやしぐさがかわいいから。
    もしかしたらこれがすべてなのかもしれません。人間は猫の生存戦略に見事にひっかっかっているわけです。
    ●視線が合うから。
    これは、最近私がはまっている宮台真司先生がよくおっしゃっていることですけれども、人間は視線が合うということで対象を好きになるようで、最近は以前より人間同士で視線を合わせなくなっているとのことで、そういう点で、猫となら、目と目で通じ合うが堂々とできるわけです。

    だから何だと言うわけではないのですけど、猫もいいですけど、やっぱり人間同士も深く愛し合うのが良い社会だと私は思っているので、そのヒントになれば良いな、と思います。

  • 2019/02/22

    2枚目の名刺の日。

    世の中が猫、猫、猫と、猫の日一色になるのもよくないから、ウィキペディアを見ると、2月22日の今日は、結構いろんな記念日があるようです。
    で、「2枚目の名刺の日」らしいんですけど、そういえば、最後に勤めた会社を辞める間際くらいに、2枚目の名刺の話題は社内でよく出ていました。
    その頃には私はもうコーヒー屋をやりたくて、しかも1枚目としてやりたくて、会社を辞めて、現状では、コストの面もあり紙の名刺は持っていないので2枚目どころではないのですけど、でも、紙で持つかはともかく、個人が名刺を複数持つことは、ひとつの場所なりコミュニティなりに依存しすぎないという意味で良いことだな、と思います。
    逆に会社とか集団はテーマなり目的なりをある程度絞った方がわかりやすくて、Sansanとか「名刺」という名刺一本で勝負してて、気持ちいいなと思います。

    これからは、集団は1枚、個人は複数枚、という名刺の持ち方をした方が良い気がしていて、無理やりコーヒー屋の話にしますと、個々のコーヒー屋はある程度自分の得意なところで尖がってみて、お客さんは、ひとつの行きつけではなくて、複数の行きつけをもっていると、たぶん楽しいし、コーヒー屋のダメな部分にも寛容になれるのではないかと思います。
    前にも申し上げましたが、当店を行きつけ4枚目くらいに。なにとぞ~。

  • 2019/02/21

    コーヒー屋はコミュニケーションである。

    コーヒー屋になる前に、ひたすら薄暗めのコーヒー屋さんを回っていたとき、無口な店主の方も多く、あまり人とのコミュニケーションが得意じゃなくてもコーヒー屋はできるのではないかと思い、ついコーヒー屋になってしまったのですが、なってから考えると、やっぱりコミュ力は大切だな、ということです。
    おしゃべりであったり、爽やかであったりする必要はないですけど、お店全体を居心地の良い空間にするためにファシリテートするって、それはもう恐るべきコミュ力が必要とされるわけです。繁盛店とか長く続いているお店ってそれができているのかと思います。
    で、断言するんですけど、わたし、それ、できません。おしゃべりは好きですけど、コミュ力はないです。

    でも、コミュ力について考えると、コミュ力の高い人って、コミュ力の低い人ととでもコミュニケーションが上手にできる人のことかな、と思うので、この世にコミュ力の高い人と低い人がいるとしたら、高い人は低い人でも平気だし、低い人同士はあきらめもつくし、そう考えると、お客様も含めコーヒー屋全体でコミュニケーションのバランスをとればよいので、なんだ、大丈夫そうですね。
    ちなみに、コミュ力が普通の人、というのは、想定しません。何事においても普通の人なんて世の中にはいないという立場です。

  • 2019/02/21

    自分の名前が肩書きとなる場所を大切にする。

    今日は「漱石の日」だそうです。
    ウィキペディアによれば、「文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を送ると伝えたのに対して、1911年のこの日に漱石が『自分に肩書きは必要ない』として博士号を辞退する旨を書いた手紙を時の文部省専門学部局長に送ったことに由来する」とのことです。

    漱石先生は、こういいますけど、それは、漱石先生には、「漱石」という肩書きがあるわけで、それ以上には何もいらないわけです。
    漱石先生みたいな才能の秀でた有名人はそれでいいのですけど、一般の無名な人は、もちろん肩書きがないと心もとないわけです。

    そうなんですけども、どんな人も最終的には肩書きのない状態で生きていけるのが理想だな、と私は思います。
    別に有名になるべきとかそういうことではなくて、家庭でも職場でも他のコミュニティでもなんでもいいんですけど、自分の名前が肩書きというか信頼になるようなそういう範囲の居場所をベースにした方が健全で、そういう方向を各人がめざす方が、世の中がよくなるのかなと思います。

    コーヒー屋としては、まずは、果敢にも来てくださったお客様に対して自分のやり方で誠意を尽くしながら、それを地道に継続していく、というやり方で、自分やお客様自体が肩書きとなる空間を作っていければ、なんとも幸せだと思います。

  • 2019/02/20

    あわれなあはれ。

    会社員の友人とかと話していて、仕事が大変そうだったり、つまらなそうだったりすると、私はすぐに、脱サラしてコーヒー屋をやることをキラキラとした目で伝えるようにしているのですけど、もちろん誰からもやりたいという返事はないです。
    コーヒー屋にも興味はないし、さらには、私を見てると憐れな気持ちになってまったくやりたいとは思えない、という感じみたいです。

    わたしは、最近コーヒー屋という仕事に本当に喜びと可能性を感じていて、(経済的事情を脇におけば)永遠にやっていたいと思っています。正直コーヒーにはときどき飽きちゃうけど、ちょっとよそ見して別のことを考えているとまたムラムラとコーヒー愛が出てきたりして、そういうよそ見にも寛容な仕事であると思っています。

    他人から見て憐れで、自分から見てあはれっていうのは、真実の愛、みたいな感じがして良いですね。
    でも、いつまでも憐れだと売れなくてコーヒー屋を続けられないので、他の人にも私のあはれ感をわかってもらって、売れっ子のコーヒー屋になって、みんながコーヒー屋をやりたがるような感じになればいいです。

    ご注文なにとぞ~。

  • 2019/02/20

    コーヒーを言葉にしてみる。

    先日喫茶にいらしたお客様に、コーヒーの説明(生産地や味やこだわりなど)は書いてあった方が、コーヒーにたいして興味がないお客様もただ飲むのではなくて、味わって意識して飲むようになるのでは、とご意見いただき、そうですよね、と思いました。

    いわゆる、酸味とか苦味とかボディとかフレーバーとか、テイスティングノートによくあるようなレーダーチャートは、あまり好きではないのですが(というかよくわからない)、自分のコーヒーをいろんな角度から自由な言葉で表現してみる、というのは、とても楽しそうだな、と思います。

    コーヒーを語る言葉って、コーヒー屋ごとにもっと自由でよいはずで、芸能人に例えるとか、文学的な表現にしてみるとか、短歌とか回文で表してみるとか、そういうの、さっそく、次回の喫茶からやってみようと思います。

  • 2019/02/19

    静かなる失恋。

    そういえば今日は、コーヒービーンズデーなのです。(まだ私しか知らない。)
    バレンタインデーのコーヒーバージョンです。

    今年の当店のコーヒーは、本命用ではなく、「静かなる失恋」といったイメージです。

    「あなたのこと好きだけど、もっと好きな人がいるの」
    「もうあの頃の燃えるような恋心はないわね」
    「好きだけど叶わない。あきらめるわ」
    「今後も良いお友達でいられればいいけれど」
    「残念だけど、幸せになってね」

    今年の時点では、まだそんな感じです。
    来年は「恋のはじまり」をめざします。

  • 2019/02/18

    嫉妬の前提として優越感は必要か。

    今週の喫茶のテーマは「嫉妬の前提として優越感は必要か」にしました。

    嫉妬とは、「それまで抱いていた優越感・愛情・独占感が突如他にしのがれるようになったことに気付いた時に感じる、ねたみの気持ち」というのが新明解国語辞典の第四版の言い分ですが、この中の「優越感」という言葉に私は少しびびびんと反応しました。

    羨ましい、というのと、嫉妬との差を考えたとき、そこにあるのは何かな、と考えると、嫉妬には、その前提としてある種の優越感があるのではないかと思いました。
    嫉妬することによって、自分がその分野にある種の優越感を抱いていたことに自分も気づき、だからこそ、嫉妬を恥ずかしく思うというような感じです。

    ある分野においては、私はその人よりも優れていると思っていたのに、そうでないという事実を見せつけられたときに、嫉妬を感じる、反対に最初から叶わないと思っていたら、嫉妬にはならないで、単に、羨ましいと思うだけ、みたいな感じです。
    恋愛で考えると、嫉妬とは、自分が好きな相手が誰か別の人を好きだとわかったときに感じるというよりも、この人は自分のことを一番好きだと思っていたのに、実は別の人を好きだったみたいなときに感じる、つまり嫉妬を感じるシチュエーションは勘違いに起因しており、だからこそ嫉妬を恥ずかしいもの、忌むべきものとして見ないようにしてしまいがち、みたいな感じです。

    という仮説を立てて今日の喫茶に臨んだのですが、いろいろな事例を考えるとそうでもないみたいです。次はがんばります。

  • 2019/02/17

    利他的と利己的のバランス。

    損得を考えないで行動するとわりと利他的になって、利他的すぎると、ちょっと自分が他人依存のダメ人間のように思えてしょぼーんとなってしまうことがあるのですが、よくよく世の中を観察すると、自分の喜びよりも他人の喜びの方に幸せを感じる人の方が多いのではないかと思います。

    なんとなく他者のためって偽善的な気もして、多くの人がその動機を利己的なものに帰結させて、他人にも自分にも言い訳するのですけど、素直に他者の助けになることはうれしい、というので良いのかと思います。

    でも、利他的になるためには利己的な存在も必要で、そう考えると、みんなが利他的すぎると、少数の超利己的な人ばっかりに利益が集中しちゃいそうだから、お互いが利己的な部分と利他的な部分をバランスよく発揮できるような小さなコミュニティというのがやっぱり大切なのかと思いました。

  • 2019/02/16

    損得を超えて。

    何かを判断したり、選ぶときに、最近、なるべく損得にしばられないように意識しているのですが、意識してわかることは、私は今までも損得で何かを判断したり、選んだりしたことはあまりなくて、どちらかというと損得抜きで思わずしてしまった不可解な行動を、後で損得のつじつまが合うように一生懸命考えて、後付けの損得を見出すことに精を出してみたいな感じだなと思いました。
    程度の差はあるかと思いますが、多くの人が結構そうなのかな、とも思います。

    その上で、損得にしばられないように意識すると、もう後付けの言い訳も必要なくて、やってしまったこと(場合によってはやらなかったこと)をそのまま良しとすることができて、とても人生が楽になります。

    だいたい得をするって想定外のことでしか生じないんだから、損得勘定で動いている限りは、得することができないように思います。
    というわけで、いつも繁盛コーヒー店ばかりを巡っている方、たまには、当店へ。

  • 2019/02/15

    迷走を超えて。

    私は、人生是迷走、という感じの人間なのですが、昨年くらいまでは、コーヒー屋として大いに迷走していたのですが、正直なところ、コーヒー屋で生計を立てるのは私にはなかなか困難そうで、最近は、少しあきらめモードで、迷走の領域も、コーヒー屋としての領域から、人間としての領域に移っていっております。

    最近は、喫茶でも哲学チックな話を結構するし、政治とかも気になって友人とかといろいろ話したりするのですが、自分のつい口走ってしまったこととかも気になって、そのあと本を読んだり、ネットの記事とか動画を見たりしていると、なんだか自分の考え方がコロコロ変わってしまって、変わること自体は悪いこではないと思うのですけど、さすがにこの年齢で芯みたいなものがほとんどない自分を少しかわいそうに思ったりはします。まあ、仕方ないです。

    で、何が言いたいかというと、他の領域で迷走している分、コーヒーではそんなに迷走しておらず、最近は、比較的安定してきた気がしています。コーヒーに対する情熱が減ったというよりは、(他で力んでいる分)ヘンテコな力みがとれたといった感じです。
    当店のコーヒーは、コーヒー通の方々に衝撃を与えられるような意外性のあるコーヒーではないですけれど、からだにも優しいし、品質と手間から考えると値段もお得だし、常用のコーヒーとしては、(たいていのことに自信のない私が)自信を持ってオススメできます!。

  • 2019/02/15

    燃えるおとぼけスーパー乞食。

    これは、私の身内が小学生のときに、クラスの天才型秀才君につけられたあだ名で、当時、私はひどいこと言うなぁと思っていたのですが、でもこのあだ名、私の中にいつまでもいつまでも新鮮な輝きを保って残っていて、今あらためて眺めると、この言葉の羅列の中には、敬意と愛情が混じっているように思えて、ちょっとこれ、私にもらってもいいかしら、と思いました。

    今日から、私は、燃えるおとぼけスーパー乞食です。
    がんばります。

  • 2019/02/15

    神でなく、仏でなく。

    お客様も、お店の側も、神様でも仏様でもございません。
    もちろん、猫でも、犬でもございません。
    人間でございます。そこんとこ、よろしくお願いいたします。

    人間とはいったいなんでございましょう???
    ということを、神様や仏様、猫や犬の視点に立って話してみるというのはありでございます。

  • 2019/02/14

    2月19日はコーヒービーンズデーです。

    バレンタインデーのコーヒー豆バージョンみたいなイメージのコーヒービーンズデーというのを作りました。

    コーヒーを必ず豆のまま送る日となります。
    義理の場合は、スーパーとかチェーンとかで売っているやつでもいいし、本命の人だったら、自分の一番好きなコーヒー屋さんで買えばいいし、本命ではないけれど日頃お世話になっている方への贈り物でしたら、当店の豆も候補に入れていただきたく存じます。

    豆のまま贈るというのは、コーヒー豆を挽くグラインダーを買いたくなるだろうし、豆から挽いてドリップして飲むという喜びを知るきっかけにもなるし、その後豆で買ってくれる人も増えるだろうし、コーヒー業界もたまには結託して、こういう商魂たくましいキャンペーン活動をした方がよいと思います。

    ちなみに、2月19日なのは、2(じ)ぶんで、19(ひく)です。

  • 2019/02/14

    失言とかタブーとか。

    五輪担当大臣の発言が話題になっていましたが、全文を動画で見ると、わたしとしては、それほど違和感を持ちませんでした。(他にもっと山のように山のような違和感を感じる嘘や発言がいっぱいあるからかもしれません。)
    でも、全文を見てもダメだという方もいるみたいなので、言葉を発するというのはとても難しいものだな、と思います。
    政治の世界での言葉に対する反応のしかたは少し特殊で、いろいろな思惑も入ってくるから、日常的な失言とかタブーについて考えてみます。

    まず、失言についてですが、言葉のとらえ方は、その方の立場や経験、性格によって大きく変わってきてしまうし、どんな言葉でも誰かは傷つく可能性があるし、そう考えると、やっぱり言われた本人がどう感じるか、というのが、最優先されるべきなのかと思います。
    バラエティにおけるいじりといじめについても問題になっていますが、本人がいじめだと思えばいじめで、本人がそれについていじめであると訴えているのであれば、すみません、と謝る話なのだと思います。それが一般的に許容されている発言であれば、過失が少なくなるということなのかと思います。

    私もそうなのですが、自分が言われた言葉には寛容にふるまい、他人が言われたひどそうな言葉には過敏に反応するという人が結構多い気がしていて、そうなってくると、失言しないように暗黙のタブーばっかりが増えて、日常における会話がとても差しさわりのないものだけになってきてしまいます。天気、旅行、グルメ、スポーツ、ペットの話は無難。哲学、政治、宗教などの話は危ない、とか。

    もちろんTPOは大事ですけれど、どこかで危なそうな話も入れておかないと、言葉は安全な方向へ行ったけれど現実はちっとも安全になっていかない、どちらかというと危険が深まっている、ということにもなりかねません。

    ちょっと理屈に飛躍があるかもしれませんが、何が言いたいかというと、哲学喫茶という意味では、タブーの範囲をいったん少なくし、何がタブーなのかというところも含め、ちょっと重めの話もできる場になればと思っています。

  • 2019/02/13

    グラタンのうらみ。

    突然思い出したのですが、小学生のとき、私は、あるひとりの男の子にいじめられていて、ことあるごとに嫌がらせを受けていました。
    ちなみに愛情の裏返し系ではなく、純然たる弱い者いじめです。

    具体的にどういういじめを受けていたのかはそんなには思い出せないのですが、今でも覚えているのは、給食でマカロニグラタンが出たときに、その男の子が食べ途中のグラタンを、もういらねぇとか言いながら、残飯を捨てるように私の食べかけのお皿の中に入れたのです。

    私はそれを食べ続けるわけにはいかず結局残さざるを得なかったのですが、当時、グラタンは私の一番の好物で、その大切なグラタンを途中で放棄せざるを得なかったことが本当につらく、今でも強烈に覚えております。

    当時は、今よりもさらに気が弱くて、何も言えなかったので、今、言い返しますと、
    男ならグラタンくらい残さず食え!

    そういえば、最近、グラタンを食べていないです。

  • 2019/02/13

    ガス欠のセレンディピティ。

    今日は、焙煎4バッチしました。豆は、下記です。
    ・コスタリカ ラ・カンデリージャ ハニー
    ・ケニア・エチオピア プレミックス 途中ガス欠 セレンディピティ焙煎
    ・エチオピア イルガチェフェ G2 ウォッシュト
    ・ケニアAA

    2番目のプレミックスのときに、プロパンのひとつがガス欠し、途中でもたもたと入れ替えたので、なかなかにセレンディピティ期待の焙煎となりました。おいしければ喫茶でお出ししたいです。

    最近のおすすめは、ケニアAAです。
    当店では、やや深めの焙煎にしています。しっかりとした味で甘味も強いです。ご自宅でドリップされる方は、ぜひこの豆をお試しいただきたいです。